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「あなたは人を励ますことができる。」


気をつけていても、心の波動を高く保つことは難しいものです。
明るく軽やかな心をもつために、暗いニュース、話題にも、エネルギーを下げる人にも
乱されないようにしたいものです。

良い人、良いものは心地よい波動を発していますので、それを受け取りたいものです。
心地よい波動は、こころを温かくします。

「気持ちがいい」
「いつもいい気持ちでいよう」
「皆をうれしく、楽しく、幸せにしよう」
いつでも、そう思えるようにしたいもので

ある人は言われたそうです。

「あなたがいるだけで周りの人が強くなります。
あなたが強い意志力の波動を持っていれば、
周囲の人はあなたがいるだけで、人は強られます。
一言も言葉を発しなくても、伝わってくるものがあります。
あなたは人を励ますことができます。
その人は攻撃されている、裁かれていると感じることがなく、 
安全で大切にされていると感じるからです。」

心地よい波動の流れに身をおくと、それがさざ波ように伝わっていきます。
世の中には、やさしい言葉、やさしい行いが溢れています。

ラクして稼ぐ

 Wayne Dyer  自分を縛るものを捨てなさい。
 
 厄介なルール、習慣、こだわり、「そうすべきだ」、「ねばならない」、「こうでなきゃいけない」と、いったものを捨て去り、シンプルな生活を。

 お金を稼ぐことは難しい。商売のセンスがあれば、何が売れるかを知り、商品を開発できます。もし、商売のセンスもなく、商売を始めたら、お客様に商品の魅力をアピールできずに、赤字になる可能性が大きくなります。ラクして稼ぐことは、何らかの商売に従事しても、難しい。今、ある程度の売り上げをあげていたら、「ラクして稼ぐ」ことは挑戦可能な課題となります。誰でも、「ラクして△△する」ことならば、適応できることが身の周りにあります。商売に関係のないことにお金をかけないで、無駄な出費をかけない。
 
 「ラクして△△する」。非道徳的な響きがします。しかし、周囲を見れば、努力している割に生産性が低い人がいます。気の毒で胸が一番痛みます。手足が縄で縛られているわけでなく、思考が思い込みで縛れています。

 不向きなことに力を注いで、それまでの無駄な努力は無意味だと知ると、心が痛みます。努力しているのに、報われないことがあります。それは正しいやりかたをしているだろうか。手間と時間をかけすぎて、不要な書類を作成します。時間を短くする。書類を減らす。やっていることを見直ししましょう。モノだって同じです。仮に、50%は要らないものとして、それを捨てると、空間もすっきりします。余計なことをしない。

 努力しているのに成果がでないとき、間違った方向の努力をしていることはないだろうか?やらなくていいことや余計なことを一所懸命にやっています。自分が頑張っていると思っていることは、本来、やるべきことでないかもしれません。仕事のやり方で無駄なことを省いて整理すると、やりやすくなり、仕事の効率が上がります。

徳の条件:思慮深さ

 思慮深さとは見通しのきかない未来にかかわる徳であり、好機をとらえる徳、忍耐と予見のとくである。

 思慮とは人間に対して何が大切で何が大切でないかを考慮して、結果的にその場にふさわしい行為を可能とする性質である。思慮には、起こることだけなく、起こるかもしれないことも扱い、未来を予想・予測することが求めれます。

 『職業としての政治』においてマックス・ヴェーバーが異なる2つの倫理観にもとづく人間の行為の類型を提唱した。心情倫理と責任倫理で、前者は、自らの行為の価値を純粋に信じて、その結果は神に委ねて省みない態度であり、後者は、予測できる限りで自らの行為の結果を考慮し、その責任を引き受けなければならない、という態度である。善意が災いを起こし、動機が純粋であれば、最悪の事態をさけられないので、心情倫理は危ういので、責任倫理でその責任を引き受けることが求められる。

運のある人とない人:中谷彰宏

 運があると、棚から落ちてくるぼたもちに巡りあえることを期待して読みます。運のある人は、ワクワク、楽しいことをして生きていて、ミラクル、奇跡があり、この上ない楽しいことにであう。

 中谷彰宏さん本は簡単でわかりやすいだけなく、運に対する間違った期待をいきなり打ち砕いてくれます。運をまっていてもだめで、何かをやるときには、こちらから行って、気付いて、掴む行為が必要です。

 運がある人がやっていることは見ていても、あー大したことはないと思いますが、見えないところで当たり前の工夫をしています。経過・プロセスに運が良い秘密があります。経過・プロセスに拘り、丁寧に当たり前のことができるように、自力をつけています。人が楽しく遊んでいるときに、時間を惜しんで、準備、努力を積み重ねて、いざという時のための準備している。失敗しても、運を貯めながら、次のことを考えています。

 目先の楽しいことでは、見えないところに将来花開く運があります。今やっていることを楽しくする工夫をする。他人がしているのをみて、即効性の結果を求めると、偽物の運をつかんで、痛い目に合います。

叱責される達人

 いまどき、私心なく、人を真剣に叱る人はすくなくなっています。私的な怒りから感情的に叱る人はいます。それに対する風当りが強いので、叱られるチャンスも減っています。その成果、叱られることに対する耐性も弱くなっているようです。叱責する人もストレートに思いをぶつけられる人がいるそうです。叱責しやすい人は、素直に受け止め、学ぶ姿勢がある人です。何度も叱責される事には慣れていますが、気分がいやになります。叱責されるときに、すいませんと先に謝罪すると、話を最後まで聞けと言われました。叱責する人も自分の心にあることを掃出すことで、スッキリすることができます。怒り人の静めるためには叱責される名人も必要です。

 江口克彦さん、松下幸之助の側、近歴23年です。27歳から36歳までは、PHP総合研究所の秘書として勤め、その後は経営者、国会議員として活躍しました。松下さんは、仕事を進める上での基本方針(なんのために、やるのか、なぜ、やるのか)を説明して、仕事を与える。その考え方、方針に反して失敗すると、激烈な叱責を受けることになるそうです。激烈な叱責というは想像を越えていたそうです。

 大将(松下幸之助のこと)に呼び出されたある幹部の話です。 「ストーブの前に座って、わしを待ち構えておった。叱り始めると、こりゃ、もう止まらんなと思ったで。わしは直立不動の姿勢で立った。案の定や、手にした火かき棒で、ストーブをガンガン叩きよる。恐うて恐うて、叩かれるたんびに、自分が叩かれているような気になってきた。」最後に「わかったか」と怒鳴りながら、ガーンとストーブを叩いた瞬間に、気絶してしまったそうです。

 江口克彦さんがPHPを経営されていたときに、「相手のためになる叱り方というのは、実にむつかしいものである。なんらかの私情の入った意図や配慮をもって叱ると、相手のためにも自分のためにもならない。」と思ったそうえす。

 部下を叱ることの大切さを松下さんから伺ったそうです。「君は部下を叱らんといかんときもあるわね」「ありますね」「そういうとき、きみは、どういう叱り方をしておるんや」と笑顔で尋ねてくる。返事を戸惑っていると次の言葉を話されたそうです。

「叱るときに大事なことは、失敗した部下を叱るときも感謝の気持ちを忘れたら、いかんということや。日頃は、よくやってくれている。ありがとう。しかしこれは、気をつけんといかん、ということやな。とにかく、まず、感謝の気持ちをもって、叱らなければならん。まあ、心のなかで、手を合わせながら、叱る。」

 それは何となく綺麗ごとのようです。それよりも、松下さんの気質として、瞬間湯沸かし器のように心に高まる感情を相手にぶつけることができたようです。それとともに、激烈な叱責のあとのフォロー、気配りも忘れなかったそうです。

 <トヨタの瞬間湯沸かし器> 
 米ゼネラル・モーターズ(GM)との合弁会社NUMMIの副社長からプライドを傷つけてはいけないという配慮でやり方を変えたそうです。モタモタしていると二言目には「おまえやる気があるのか」と部下を叱責する瞬間湯沸かし器のような方が、NUMMIでは怒らず根気良く米国人を説得していました。赴任してきた同僚の日本人を見つけて声を掛け「アメリカ人は納得しないと動かんぞ。わからんでいいからまずやってみよでは通じないと心得よ」と注意されました。


人生でのエネルギー交換

 美味しい食べ物があるときに、皆で平等に喜んで分かち合うことができます。ものが豊かになると、大金持ちの人のように、罪悪感なしに多くを得たいと思うようになります。会社で地位が上になればなるほど、多くをもらいたいと思います。それに対して強欲な人と思う人はいません。徳の高い人が上に立つのだから、給料が少なくても満足して働いたらいいのではないかと思う人もいません。管理職になって残業が減りもらう給料が減ったと嘆く人はいました。

 社会の富を無条件で平等に分かち合うことを嫌がります。条件をつけたがります。有意ある差が存在することを発見して、差別化を図ります。私は他の人より一生懸命働いたから、優秀だから、人より少なかったら不満を持ちます。AKBグループの総選挙も、ファン投票で毎年序列をつけます。差をつけることで競争させて、やる気を持たせるという手法です。じゃんけん大会という手法もありますが、納得できる人選のために、ファン投票は一理あります。

 競争社会のゲームでは、市場で最も強い勝者が総て取ります。豊かさを求めて、限られた市場でのものの争奪戦では、自分の得意な分野に集中して、他者に対して差別化することが大切です。お客様に選ばれることで、他者に先んじて、売れる商品をつくることができます。経済では選択と集中の度合いで市場での勝敗が決まり、勝ち組と負け組が生まれます。その結果、多く敗者が貧しい生活を送る格差社会になり、バランスがとれなくなります。

 これまでの人間関係では、ギブ&テイクが常識的な態度であり、貸し借り、損得がゼロであることが望ましいものです。取りうる立ち位置として、「相手のことを考え、真っ先に相手に与える人」Giver、「つねに自分の利益を優先させる人」Taker、「自分と他人の損得バランスを考える人」Matcherがあります。見返りが期待できる場合には、Giverのポジションを取る人もいます。こころが豊かでないとGiverにはなれませんし、力がないと、Takerにはなれません。力がないので、Matcherとして被害者意識を持たないようにいきれれば、良しとしたいと思います。

 人生のゲームにおいて、バランスを重視して、人と人との間で繋がり、エネルギーのやりとりをするとします。得点=GIVE(人に与える)行為、失点=TAKE(人から得る行為)と仮定し、プラスとマイナスとがちょうど同じになった方がよいとします。ゲームルールで、バランスが評価されるとなると、TAKEすることを減らしながら、GIVEすることを増やすようになります。幸せな人生においては、このようなゲームのルールで、思いやり、優しさ、愛のエネルギーのやり取りをおこないます。相思相愛の関係では、お互いに与えることを重視しながら、お互いの収支が取れます。

 お互いの収支を心配すると、心が穏やかでありません。それがなくなる世界もあるそうです。それは、自分の利己心を捨てることだそうです。精神性の高い、私たちのレベルを超えた世界です。狭い料簡で生きている人にとって、生きている意味、やる気を失ってしまいます。無条件の自己放棄で、心配、恐れ、嘆きのない、真の生活を始められるそうです。欲望、疑い、心配、自分の意見、自我(全体から分離した自己)を放棄すると、純粋さ、思いやり、知恵、愛につつまれた生活をおくれます。もはや、人間でなくなります。煩悩と執着を捨てると仏になります。
 




人の心をつかむ

 ある人が部屋にはいってきただけ、そのに漂う雰囲気で、どういう人が入ってきたか、わかります。アメリカの選挙戦では、演説のプロが自分の公約をわかりやすく、語っています。選挙民の心を掴むために、温かさと強さも必要です。何を表明すべきかを、知っていますし、若々してエネルギーを出しています。共感、親しみ、愛を感じさせる人ならば、温かさを感じます。笑顔は温かさを出す最高の方法です。ユーモア、心に余裕のある人ならば、この人と一緒にいたいと思います。

 TV討論会では、見た目の演出も必要です。旬でエネルギーのある人が好感を持てます。相手から選ばれる人になるには、イメージ戦略が必要です。顔の表情、姿勢、ジェスチャ、声の調子、発話内容を意識すると、相手の信頼感をえることができます。数分で相手を魅了することが求めれます。余り有能すぎると、敬遠されるので、あなたと同じ弱さもあるという面を少しだせば、親近感を持たれます。

 政治家の強さは、意志力と能力に関係しています。政策で、国民に何をもたらすか、期待をもたすことができれば、しめたものです。全体の構成を意識する。何について、なぜ話すのかを説明する。主張をハッキリさせる。論題についていい説明を行う。危機感、不安感を煽るよりも、希望ある解決策を望んでいます。ただ、優れた実務家・専門家と呼ばれる最高の知性の持ち主が普通の人に理路整然として、学説を説いても、相手が理解できなければ、無視されたりします。いくら正論を述べても、理解できずに、受け入れることができません。

 アリストテレスは、ロゴス(言語・理性)に訴える、ぺートス(人格・信頼)に訴える、パトス(感情・情熱)に訴えるといった。わかりやすく、なるほどを思わせる。大切なことを繰り返して印象に残るようにする。話し手自体への信頼感を育む。新しい風をもたらすような、相手が期待していることを聴くことができたら、共感をもってくれます。リズム良く、語りかけるように話す。

 

 

修學の四標的

 幸田露伴は、努力論で、修學の四標的として、正、大、精、深を上げています。

人が学問を修め身を治めるためには的が必要である。( 渡部昇一先生の本より、一部青空文庫より、)

 「正」とは《中》である。横道にそれたり偏ったりしないことである。学問の道も同じこと。まず大門があって正門がある。先生は大門をくぐってきた生徒をこの広い平坦な道に導いてくれるはずだ。そして、これをまっすぐに進んでいるうちに、目指すべき目標が見えてくるだろう。そこではじめて、自分の志す方向に向かってその第一歩を踏み出すのである

 「大」には広の意味を含んで居る。学問の道に入ったら自分の能力を自分で見限らず、自らを大きくする心を捨ててはならない。つとめて視野を広げ心境を開拓し、《知》を広くし《識》を豊かにして、《自己の知的拡大の努力》を続けるべきだ。

 「精」の一語は之に反對する粗の一語に對照して、明らかに解し知るべきである。「精」とは、ものの実質がよく、緻密でよく磨かれ、正しく選択され、姿形・組み立てが美しくしっかりしていることをいう。「精」に徹した研究の習慣が身についていたればこそ、これらの大発見につながったのである。

 「深」は大とは其のおもむきが異なつて居るが、これもまた修學の標的とせねばならぬものである。しかし「大」なることだけに努力して「深」を忘れたら、渋滞・拘泥に陥るおそれがある。そして「正」なることにこだわりすぎて「深」の手抜きをすれば、迂闊で奥行きのないものになりがちである。目標を定めたら、どこまでも深く深く掘り進める努力をしなければ、水脈まで到達することはできない。

可能性=限界

 サンボマスターがビリギャル映画の主題歌「可能性」がありまります。何かしようとすると、困難にぶつかります。それをできない理由にすると、可能性の扉が閉じてしまいます。希望を持ち、到達可能なことに取り組むときは、物事は成就します。生きるスタイルによって、可能性にも個人差があります。まだまだ、若い開拓されていない才能を伸ばすときには、奇跡を起こすことが可能です。才能が開花する美しい光景を目にすることがあります。一つの可能性の先にも、次の可能性が控えています。可能性は、どこまで続くのだろうか。

 「私の人生、可能性という明日に向かって、まだこれからよ」(杉村春子)

 執念深くないと、踏み越えられない領域もあります。文学座で「女の一生」947回、「華岡青洲の妻」634回、「欲望という名の電車」594回、「ふるあめりかに袖はぬらさじ」365回、「華々しき一族」309回と主役をこなしました。文学座は分裂したり、 かかわった男はみんな早死にしてしまう恋多き人生でした。無名時代に医者の卵と結婚し、彼が結核で倒れると若い劇作家と恋に陥り、彼がが早逝するとGHQの二世と深い恋仲になり、それが終わると若い医師と結ばれました。

 この場合、「可能性」という言葉は、甘い言葉ではありません。可能性の前に、多くの苦難が出現します。あきらめないものは、全力取り組み、乗り越えることで、新しい世界に入ります。どん底で、物事はうまく立ちいかなくなったとき、それ以上、進めないと思ったときに、そこが限界になってしまいます。そこで、あきらめるか、さらに進むか、分かれ道です。

 「苦難はそれを恐れているとつらいものだ。そして、それに不満ばかり言っていると苦しくなる。そこから逃げようとすると、追いかけてくる。逃げてはいけない。文句を言ってはいけない。恐れてもいけない。それを愛しなさい。苦難の本質を味わいなさい。全力で取り組みなさい。嫌がってはいけません。苦しいのは逃げているからです。それ以外ではありません。」(ヘッセ)


お菓子の実験

 日本も豊かになり、様々な贅沢なお菓子(クッキー、ビスケット、ケーキ、チョコレート、焼き菓子、和菓子)を食べられるようになりました。美味しいものにも、福があり、それを食べると、心が落ち着きます。美味しいものの味は、一人で食べるがおおしいか、多くで食べるのがおいしいか。本当は、誰でも、参加できて、オープンで、自由な雰囲気でおいしいものをもちあって、息抜きをできることが望ましいと思います。人が集まれば、話が盛り上がり、アイデアや意見を自由に交換できそうです。

 食べ物は、会話しながら、食べると、食べ物も美味しく、会話も楽しくなるように思えます。分福ということは、食べ物にも当てはまります。幸田露伴の努力論で、「惜福」、「分福」、「植福」という言葉があります。福を惜しんで大切に使う。自分の福を他人に分け与える。福を植える。

 美味しいものを食べて、一息つくと、心に幸せが広がります。一人で、食べてもつまらないので、みんなで食べる。買い物に行ったら、何か珍しいものを見つけては、買っています。ちょっとした休憩時間に、それを6人位で、シェアしています。もし、おいしくなかったら、どうしようと思いますが、どんなものでも、美味しく食べれる人がいるので、助かります。食べた直後の反応を見て、それが好評かどうかを判断する目安にしています。

 昔、働いた会社は福利厚生が充実していて、残業をすると、300円位の売店で使用できる食券がもらえました。5時になってから、残業をするチームのメンバーの食券を集めて、残業しない人の分も含めて、お菓子、パン、デザート、ドリンクを買って、みんなで食べていました。

 


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