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ジョイ・オン・デマンド

今は、人を幸せ気分にさせるチャンスが多いシーズンです。2日前、人が遊びに来ました。いつもメンバーがあつまると、とんでもなく、楽しいことが目の前で展開していきました。与えるだけでなく、自分がいろんな良いことを与えられることに気づくにはよい季節です。

 ところで、Youtubeのように、ビデオ・オン・デマンド技術の進展で、その場で、要求に応じて、自分のみたい映画を見ることができるようになりました。好きな映画を選択して視聴するように、自分の心に沸き起こる感情も自分が求めているような感じがします。

 「ジョイ・オン・デマンド」本がありますが、誰しも、気分よくなれることはできるものです。幸せ、喜びの感覚も、簡単に手に入りそうです。良いことを考える時間を増やすことです。ジョイ・オン・デマンドという言葉は、生きる上でいろんなヒントを与えてくれます。何も、特別な仕組みもなくて、その場で、気分よくなれることを教えてくれます。子供でも、暇なときに、遊びを考え出しています。楽しい気持ちは簡単に取り戻せるものです。自分の感情もオンデマンドで取り出しているので、自分が求めているものが与えられます。

  一瞬、深く呼吸をして、心をリラックスさせることです。少し、落ち着いて、自分の内面に心を向けることです。何に心を向けたらいいのでしょうか?喜びに注意を向ける。身の回りにある喜びに気づき、寄り添う(Attend)ことが鍵です。今という生きている時間を意識します。すると、すでに自分の中にあるJOY(喜び・悦楽)の感覚に気づき、それに触れることができます。それは、トレーニングによって、いつでも意のままに(オンデマンドで)呼び起こすことができるそうです。愛情に満ちた優しさを向ける相手がいれば、その人の幸せを願いましょう。つらいことを経験している人がいれば、その人の苦しみ、悲しさが軽くなることを願いましょう。大きな愛を持っている人がいたら、すでに心の平和を持った人ですので、そのままでいいのかもしれません。

 いろんな条件をつけて、JOY(喜び・悦楽)を味わうことを、控えている人もいます。どのようにして、人に接すると、いいか、考えたいものです。他人の行為に、自分の感情が影響されることは避けたいものです。すべては、簡単な心働きです。日々の生活において他人が自分の期待通りに動いてくれないので、不平不満を他人に対して持つことも少なくありません。いつでもクリアな気持ちで人に接することにしたいものです。その場で、気持ちをすっきりとして、生きていることを実感する方法があるそうです。いやな気持に自分が動かされそうになったら、呼吸に意識を向けることで、少し心が落ち着いてくるそうです。

人處藹然(人に処するに藹然)(出典 『六然』明末 崔後渠(サイコウキョ))
藹然(あいぜん)は草木のよく延びるさま。それよりして人に対してなごやかにのびのび感じさせること。「和気藹々(わきあいあい)」という言葉があります。人に寄り添う真心をもって人に接することだそうです。

目的の力、生きている感覚

目的の力 幸せに死ぬための「生き甲斐」の科学
ヴィクター・J ストレッチャー

 この本は、「目的意識が人に及ぼす影響」について調査結果をもとに、「目的」を持ち、幸福な人生を送るための「方法」を教えてくれます。19歳の娘を亡くして生きる意味を失い、父親として、新しく強く生きるために何が必要かを導き出しています。人生の再構築の仕方について語っています。

 仕事、家庭で大切なものを失うと、今を生きている感覚が弱く変化がこれまでの生活の継続を困難し、混乱の中に投げ出されます。生きる意欲もなく、岐路に立つと、前に向かって進めなくなます。自分の大切な居場所が無くなり、その状況が受け入れがたいときがあります。人生の支えとなって価値感が失い、人生の目的、意味が見えなくなります。

心に張りがあり、どんなことで乗り越える自信に漲っているときがあります。エネルギーと意志力があり、目的に向かっているときの「今を生きている感覚」がとても大切です。どこに向かっていけばいいのかと思案し始めます。人生のいろんな段階で、生きている目的は異なってきますし、人生の数ほど、多様な答えがあります。




知識欲

 日々の新たに生きることで、人間の知識は増えていきます。毎日、新しい情報にふれ、それを取り込みますが、若い頃はスポンジが水を吸うように、ものごとを吸収していきます。年を取ると、その量の増加率が小さくなっていくように思います。

 人間の知識の倉庫にどれくらい知識量を蓄積できるのだろうか?さらに、知識を得て物事の道理を理解して、説明できるようになることのメリットがあるのだろうか?と考えてしまいます。優れた人が書いた著作を読むと、それまで深く考えていないことに関心が向き、様々な知識をえることができます。著者の原著を読むことが推奨されます。人気のあることがらについては、似た内容の解説本が多く、出版されます。親切に余分な解説により、亜流の本が増えることになります


 古いことを手放し、新しい心の扉を開くこと、生き生き生きることが望まれます。窓を開ければ、新しい空気が入ってきます。人と接すれば、いろんな情報が入ってきます。みずみずしい感性を持たないと、ものごとに対する関心が薄れ、感動しなくなります。好奇心、知識欲があれば、未知のことをなるほどと理解し、説明できる能力を培うことができます。

もの価値

 インターネットを検索すると、古い情報が多く残っています。情報空間の価値は、アクセス件数が一つめやすかもしれません。グーグルの検索アルゴリズムは、重要度の高い情報の優先順位を高くしてくれます。
多くの人が利用するので、価値のないものを捨てることは、できませんが、古い情報は捨てることも一つの基準になります。
 
骨董品でない限り、どんなものも使用するにつれて、財としての価値が減少していくので、時間がたつと、価値のないものが残ってしまうことになる。食べ物には賞味期限があり、それを過ぎた食べ物は廃棄処分される。

 物の価値を再評価して、価値がなくなったものは、手放すことで、すっきりする。技術革新により、新しいものは、古いものを陳腐化させるので、古いものは整理したほうがよい。古いバージョンは廃れていきます。インターネットの情報空間であは、古い情報が多く残っています。

 物に価値がなくなったときに後始末をしないといけない。無用の長物、端的に述べると、邪魔になってしまいます。情報というものは、その点、CD、書籍は別にして、電子化されていれば、扱いがやりやすくなります。


待望

シモーヌ・ヴェイユ の言葉
<謙虚に待ち望む>

真理の探求において謙遜は最も本質的な徳である。
虚偽に訴えずには絶対に迂回できない袋小路に通じる矛盾は
、じつのところ袋小路ではなく扉へと通じているのだ。
立ち止まって、執拗で謙虚な待機の姿勢で、
倦むことなく、この扉を叩いて、叩いて、叩き続けねばならない。

よじ登っては滑り落ちるあの蟻のような動作による祈りは、
言葉や内心の叫びによる祈りあるいは沈黙裡になされる願望の方向づけによる祈りにもまして、
いっさい謙遜な祈りである。

無言で忍耐強い待望にまさる謙虚な態度はない。

待望とは能動状態にある思考の受動性である。
待望とは時間を永遠に変質させる錬金術である。

謙遜は魂の時間に対するある種の関わり方である。それは待つことを受け入れることだ。

芸術は待ち望むことだ。霊感とは待ち望むことだ。
待ち望むことによって実を結ぶであろう。



受け取る

 人生において、嫌だなと思うことをしないといけないときがあります。本当に嫌なことをやる意味が見いだせないときには、大きな被害者意識で生きることになります。その意識から逃れらないことをあります。そんなときに、面倒なことを一杯抱え込み、身動きが取れないことがあります。想像力で小さな問題を大きくしています。嫌なことから簡単に逃れられないですが、愉快ことも周囲には存在しています。そこに気がつくと、人生が変わります。

 生きることは、天(神)から与えられたものを受けとることで出来上がっています。喜んで、感謝して、今の人生でおきることを受けれることができると、自分自身とつながることができます。それができないと、自分の人生に不満を持ち、疎外感を懐くことになります。

 求めたものが与えられることを信じることができれば、積極的に挑戦していきます。そして、強い意気込みで、物事をやり遂げることができます。心にイメージしたことが目の前に出現し、何をやっても、順調に行く時があります。若くて、気力が充実しているときには、奇跡のようなことを経験することができます。ただ、物事がうまくいかない時期もあります。人間の限界、無力さを知ると、自分の可能性を低く見積もり、積極的な働きかけをしないで、受け身の姿勢になります。現実を受け入れることで新しい展開を図ることができます。小さな自分の大きな可能性という表現をします。自分の限界を知ったうえで、できることがあることを知ることができます。

 本当の自分を知り、自分がなすべきことが見えてくると、自然体で生きることができます。いいものをうけとる方法があれば知りたいものです。そのために、自分自身の内面と向き合い、自制心をもって、人生を丁寧に生きることが必要となります。自分の心の波動の周波数を高めることが必要となります。

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