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親近感

 私たちは、愛がある人、やさしい人、親切で思いやりのある人を見分けることができます。愛のある人に接すると、心の中であったかい感情が沸いて、親近感を感じます。

 「親近感」は、自分と近いものと感じるものに対して抱く、親しみの気持ちです。共感できる部分があると、お互いに理解しあい、好意、敬愛の情を抱くようになります。居心地の良い空間にいると、寛いで、安心できます。こちらの投げた言葉をしっかり受け取る人といると、会話が弾み、落ち着いて接することができます。そのとき、素直に自分のありのままの姿をあらわすことができます。

 競争で優劣を争うのではなく、共創することで、共に生き、支えあっていきる社会が理想です。現実の社会は厳しく、私たちは、自立して寄りかからないで生きることが求めれます。自分のことは自分でやり、人に依存することはよくないといわれます。社会に出て、自分の強みを活かして、競い合い、卓越性を発揮することが求められてきます。競い合うことの副作用として、他人と比較し、自分の有能感を誇示しようととする人が出てきます。謙虚さがなく、劣等感を持っている人は、相手を低くみたり、批判し、相手の弱点を突こうとします。チームとしてお互いに支えあう人が多数ですが、威圧的な人、攻撃的な人も少数ですがいます。
 
 思わず、敬遠してしまいたくなる人もいます。そのような人に出会うと相手の様子を伺いながら、気を使って会うことになります。相手の人に対し、苦手意識があると、親近感はもてません。こちらの思いも相手から拒絶されると、つらいものです。距離をとって近くにいかないようにします。不安、恐れがあるときには、緊張します。物事に違和感を感じると、居心地の悪さを感じます。

 人生の中で、人は数えきれないほどたくさんの人に出会います。縁がある人、縁がない人もいます。もともと一つであったものが、出会うときになつかしさ、親しさを感じます。引き寄せあうこともあります。二つが出会って、一つになることは、難しいようです。時間、場所が変わると、相手の気持ちとの距離感も変化します。異なる世界に住んでいると、再開しても、一体感を感じません。すれ違い、敵対、拒絶反応を示します。できるなら、出会う人に親切にしたい。愛ある生き方をしたい。それには、苦手な相手の人に対し、不安、恐れを手放すことができるか、鍵となります。同じ時、空間を生きているもの同士として、親近感を感じると、平和に仲良く生きていけるようです。

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人間関係の保険

 月々、1000円の支払いで、人間関係のアクシデントを取り扱う保険があれば、便利かもしれません。自分のことに集中すると、人への思いやり、やさしさを失います。ちょっとしたことで、損した気分になります。その結果、まるで交通事故のように、人と人との間で、感情の衝突が発生します。そのときに、60%と40%で、相手が悪く、自分が正しいと、第三者がその損得を評価してくれると、ありがたい。そして、保険で、それを清算してくれるなら、楽です。保険ではなく、無料でそれと同じ効果がえられる方法があります。それは、許すことです。

 人は、感情の荷物を心に運びながら生きています。目の前にいない人のことで、怒り、憤りを感じます。不機嫌は、抑えてきた感情の副作用です。恐れ、不安は人生を味気なくしてしまいます。人生の時間は少なくなり、状況は変化していきます。新しい状況を素直に受け入れる。心のシートをきれいにしないと、そこに写されるものは、綺麗になりません。

 そのために、それらの感情を手放し、こころの荷物をおろしましょう。できないことは、自分の苦しめた相手の幸運を祈ることでしょうか。相手もそうせざるをえなかった。状況が変わっていたら、自分が人を苦しめる役割を演じる立場をなっているかもしれません。

1、状況に関連するあなたの気持ちを認識し、実際にそれらを感じます。
 これらの感情をどのように認識し、 感じるかを学ぶと、それらに支配されなくなります。
2、相手の立場から状況を見てください。
  相手の視点から状況を見ると、仕方ない面があるかもしれません。
3、自分の苦い気持ちを解放します。
 状況は新しくなっているので、いつまでの苦々しい感情を持ち続けているのは滑稽です。こ
4.許す選択をする。
 過去の状況を掌でに握り締めて手放すと、苦々しい感情を持つことから解放されます。 許すという選択は、手放すことです。それは、常に自分自身に与える贈り物です。

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学ぶ

クリシュナムルティから

 学びについて
 二つの種類の学びがあると言っています 一つの学びは、知識と経験の蓄積をとおして行為することです。「経験」という言葉には、何かを経る、しるす。それを蓄えておく、という意味があります。もう一つの学びは、生きる行為のなかで学ぶ、知識を得ることを目的としないで、学ぶことです。経験する人は、これまでのこと(古いこと)、これからのこと(新しいこと)を、経験として認識する。私たちが経験について話すとき、これからのことでなく、これまでのことに触れる。これまでのことは、すでに経験する人にあるのです。それで、過去はいつも作動して、それ自体を認識しているのです。経験について語るたびに、そこから行為が始まる何か蓄えられたものについて語るし、楽しんできて再び得たいと要求するものについて語るのです。また、挑戦は、新しいものと古いものとの反応です。

経験 森有正
 『経験』というのは、ある一つの現実に直面いたしまして、その現実によって私どもがある変容を受ける、ある変化を受ける、ある作用を受ける、それに私どもは反応いたしまして、ある新しい行為に転ずる、そういう一番深い私どもの現実との触れ合い、それを私は『経験』という名で呼ぶ・・・。

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