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赦す

  心の中で赦せないことを手離すことで、複雑な人間関係から解放されて、自由になることができる場合もあります。自分の認識における、間違いを正し、バランスを生み出すことができます。誰かに対する恨み・怒りが体内に残っていると、それは膨大なエネルギーを浪費ことになります。被害者でいると、いつまでも、相手を赦すことができなくなります。過去の出来事に永遠にトラップされることになります。赦しのプロセスを体験することで認識の変化、心の変化を起こすことができます。


 赦すこと。これは、非常に難しいことです。大切なものを失ったままで、修復されないままであると、アンバランスなままです。鬱の人は、憎しみの感情を抑圧して不機嫌になって感情をコントロールできなくなります。

 「他人の落ち度は許すよりも忘れてしまえ。」水に流すの一番ですが、距離を置くことで、忘れることができます。
 
 ハンナ・アーレントによると、
 「自分の行なった行為から生じる結果から解放され、許されることがなければ、私たちの活動能力は、いわば、たった一つの行為に限定されるだろう。そして、私たちはそのたった一つの行為のために回復できなくなるだろう。つまり、私たちは永遠に、そのたった一つの行為の犠牲者となる」

「他方、約束の実行に拘束されることがなければ、私たちは、自分のアイデンティティを維持することができない。なぜならその場合、私たちは、なんの助けもなく、進む方向も判らずに、人間のそれぞれ孤独な心の暗闇の中をさまようように運命づけられ、矛盾と曖昧さの中にとらわれてしまうからである。この暗闇を追い散らすことができるのは、他人の存在によって公的領域を照らす光だけである」

人生の不可逆性というのは、人間が自分の行っていることを知らず、知ることもできなかったにもかかわらず、自分が行なってしまったことを元に戻すことができないということである。この不可逆性の苦境から脱けだす可能な救済は、許しの能力である。

脱「そこそこの生き方」

  これなら苦労する甲斐がある感じる対象を見出すと、情熱をもって、物事に挑戦することができます。情熱をもって困難に向かうときに、人間の心は輝いてきます。今日、何をするか、どのようにするか、強い気持ちで仕事をできる人は幸せです。

 自分の人生は誰も身替わりできないし、自分が貢献すべきことがらがあります。自分がどこで戦うべきか知ることが必要になります。今できることをやることで、限られて時間を有意義にいきることができます。人生に余裕がある方が失敗を恐れずに大胆に生きれます。人生の時間が少なくなると、生きることが難しくなります。

 ストレスは、心理的な負担で、物事を成し遂げるうえで、必要不可欠なものです。ストレスと向き合うことで、それを解消できます。いろんなことを回避して、自分の可能性に限界を設けると、ストレスとセットになった宝物を手にいれることはできません、価値のある人生をおくっているときに、うまく、ストレスに対処しています。ストレスをうまく解消できる人は、ものごとを成し遂げてしまいます。しかし、安易にストレスを回避しようとすると、いろんな代償を支払うことになります。不安定でストレスの多い生き方をしていると、心に疲労が蓄積されてしまいます。そこで、安全な生き方にしがみついてしまいます。安全な生き方に逃げてしまうことで、生きる好奇心を失います。

 人生で居場所を間違ったと気付いても、やり直し、冒険をしないで、ずるずる生きてしまいます。私たちは、安全に生きると、小さくまとまった生き方になってしまいます。現実の多くの要求にこたえることに追われて、自由に身動きがとれません。期待とかけはなれた状況に落ち着いてしまっています。自分がやりたいことに関係した大きな目的を見失うと、「その場しのぎ(Aimlessness)」になってしまいます。その場しのぎ以外にも、マンネリ化(Boredom)、ぬるま湯志向(Comfortness)、あやまった自己認識(Delusion)、自意識過剰(Ego)、怖がり(Fear)、壁をつくること(Guardeness)など、新鮮な気持ちで生きれない要因がいっぱいあります。

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