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傲慢な人と言いなりになる人

 自分に向いていないこと、できないこと、したくないこと、してはいけないことが目の前にあるときに、ノーという一言は、あなたを窮地から救ってくれます。ノーと言える人は、自分に向いていること、できること、したいこと、しないといけないことを知っている人です。あなたがダイエットをしていて、目の前に美味しいケーキがでてきたら、なかなかーという一言はいえませんが、はっきりノーと言いたいことについては、ノーと言えるようになりたいものです。

 人間関係において、周囲にいろんな人が纏わりついて、行動の自由を束縛されます。いろんな人からの要求に仕方かなく応える人もいます。罪悪感を持たせるような言い方をされると、自分自身を見失うこともあります。相手を怒らせることなくノーと言える人になりたいならば、人工夫必要です。とにかく明るい安村のように、明るく「ノー」と言うほうが、無表情に「イエス」と言うよりも言うよりもいいかもしれません。

 人から頼まれると、信条として、イエスといいたいものです。ただ、納得できないことには、ノーと言えることが必要です。相手にいろんな期待をかけられても、相手の言いなりにならずに、ノーと言える人間関係は健全です。納得したときにも、イエスといえるようになりたいものです。自立している人間関係では、傲慢な人がいたら、それを拒絶することも簡単ですが、相互に依存した人間関係になると、ノーと言いにくい状況が生まれます。

 世の中に仕切ることが好きな人がいて、そのような人は周囲の人に圧力かけて、支配しようとします。人に支配されるとイライラしますが、そのような人と人との組み合わせは、いろんなカップルに見受けられます。カップルは最初は、相性も良く、調和しているように見えますが、そのうちに、それまで見えなかった欠点も見えてきます。人間関係を失うまいと、相手の欠点を我慢して受け入れる傾向があります。

 自己中心の人がわがままな振る舞いをして、相手方がそれを受け入れると、わがままな振る舞いが恒常的に起こりうることになります。カップルの一方が加害者の役をすれば、もう一方が被害者の役となります。

 「人は変えられない。変えられるのは自分だけ」というような言葉は、心に突き刺さります。

 自分がどう変われば、いいのだろうか?相手の振る舞いに対してどういうアプローチを取るか、とても難しくて根の深い問題になります。相手方がそれを拒絶すれば、その振る舞いもできなくなります。相手が少しでも、改善する兆しがなく、相手の無理な要求に対して、我慢できないレベルになれば、距離をおいて、人間関係を見直すことも、必要です。絶えず、相手の要求に屈していると、自分をなくしてしまいます。目の前に大事な要件があるのに、振り回されて、責任を果たせなくなることもあります。人間関係を失うことを惧れると、自分が被害者のままでいることに甘んじてしまいます。それは、人間の強さ、弱さとみるか、それを健気さとみるか。
 



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