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日本人のレジリエンス

 太平洋戦争で連合国に無条件降伏してから、戦後70年の2015年も終わろうとしています。私たちの生活圏に困難がさざ波のように押し寄せて去っていきます。最近では、リーマンショックのような金融危機、東日本大震災、地球環境の温暖化、東日本豪雨のような鬼怒川の決壊等がありました。当初は、それに翻弄され、その衝撃に対応できない組織、個人もあります。それに踏みとどまり、前よりも強靭になって成長しています。転んでもただでは起きぬ力は、一つのレジリエンス(弾力性、回復力)です。

 米軍による本土空襲で都市が潰滅し、980万人の被災者、33万人の死者が出たそうです。昭和20年、8月14日の御前会議で、昭和天皇の聖断によりポツダム宣言受諾が決定され、終戦の詔勅が発せられ、連合国に対しポツダム宣言の受諾を通告して、15日に玉音放送がありました。東京も大空襲で建物がほとんど破壊されて、多くの人がなくなり、焼け野原の状態でした。当時の写真を見ると、絶句しそうです。

 戦後の経済成長は奇跡のようです。もちろん、そのような光の部分だけなく、影の部分があります。、物不足によるヤミ市があります。戦時中・戦後しばらく、配給制度でインフレ・物不足の状態でした。そこで、在日外国人、引揚者、罹災者、愚連隊らが戦災による焼跡などを不法に占拠してバラック建ての店を構えてました。工場や作業場などにまだ残っていた製品が持ち出されたり、家々からは中古の日用品、農家から野菜や穀物・イモなどの食糧などが持ち込れ、売られていたそうです。なりふり構わず生きる時代もあります。

 戦争で負けたとはいえ、日本人の気概、国として成長する可能性が失われていませんでした。昭和21年、本田宗一郎は、陸軍で使用していた無線用小型エンジンを見て、自転車に取り付け試走することを思いつきました。同じ頃、盛田昭夫と井深大が日本橋本店のデパート3階の一室を事務所としてソニーを創業しました。戦後の混乱にあいっても、ビジネスの可能性に気づき、何に焦点を合わせるか、何が大切なことか、何をするかを考えて、挑戦した人々が、奇跡の復興をけん引してきました。

 最近では、東日本大震災のあとの復興がありました。東日本大震災の時は甚大な被害でしたが、そこでも、脅威的かつ迅速な震災復興を実現しました。危機のときにおける日本人の良さは、転んでもただでは起きないところです。何に焦点を合わせるか、何が大切なことか、何をするかと、成功の要因でKFS「Key Factors for Success」を掴んで、正しい努力を継続して、立ち直りが早く、復活するところにあります。混乱で思考停止で適切な処理が取れない組織、個人は没落します。
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