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マエストロ「クラウディオ・アバド」

http://www.youtube.com/watch?v=cdhBumzco8g
SCHUBERT INCOMPIUTA - BERLINER ABBADO 1989

クラシック音楽界の巨匠 指揮者、クラウディオ・アバドさんがなくなった。カラヤンの後継者としてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を率い、ミラノ・スカラ座、ウィーン国立歌劇場といった名門歌劇場の音楽監督を歴任した。

1989年のベルリン・フィルの常任指揮者への就任。ベルリンフィルは、団員の一人ひとりが人間として大きな個性を持ち、それを演奏に反映させようとする意志を持っているので、指揮者は、個性的な団員たちをまとめ上げる音楽性とパーソナリティを持つことが求めれていた。団員の全員投票によって行われた指揮者選びは、世界的に話題を呼んだ。彼は団員との間によりフランクで親しみやすい関係を求め、新しい人間マネージメントのあり方を提示した。アバドは、オーケストラの自発性を最大限生かすことを心がけ、パート符を広げては.何度も同じフレーズをゆっくり刻ませながら「最良の音を出して下さい」と演奏者と会話をしながら音楽を作っていくそうです。

 人柄と音楽。双方でこれほど多くの人から愛され続けた指揮者を、私はほかに知らない。クラウディオ・アバド。この人の本当の才能は、自分自身の能力を、人々の幸福、そしてただ音楽のためだけに生涯捧げ続けることができた、という1点に尽きるのかもしれない。(朝日 吉田純子)

 1933年、イタリア・ミラノの著名な音楽一家に生まれた。彼にとって、音楽は、家族同様に、物心つくかつかないかの頃から「当たり前」に身近にあった。

幼少のころ、子ども部屋のドア越しにパパとママのヴァイオリンの対話に耳をすませた記憶。
78回転のレコードから、とうして、こんな機械の中に入って音が出せるのかと考えたこと。

 スカラ座の天上桟敷から見下ろして聴いたドビュッシーの「夜想曲」の「祭り」の魔法のような思い出。7歳の時、ミラノのスカラ座に初めて行き、劇場の一番上から見下ろすと、たくさんの音楽家がずっと小さく見えた。そのうちの一人が、腕を動かしながら、素晴らしい音を自由自在に作り出していた。曲目は、ドビュッシーの「ノクターン」。まるで光と色が絵のように見えてくる感じがした。

 あのスカラ座の晩のことは、絶対に忘れない。ぼくはあのとき魔法にかけられた。あんなに大勢のひとが同時に音を出したり、そのひとたち全員を思うがままに指揮するひとがいたりすることに、すっかり心を奪われてしまったのだ。その翌日から僕はピアノを習い始めた。

 地元のジュゼッペ・ベルディ音楽院やウィーン国立音大で学んだ後、イタリア国内を中心に指揮活動を開始。63年にミトロプーロス国際指揮者コンクールで優勝。ヘルベルト・フォン・カラヤンに見いだされて、65年のザルツブルク音楽祭で国際的に知られるようになった。

 68年にイタリアオペラの殿堂ミラノ・スカラ座の首席指揮者、72年には音楽監督に就任。79年にはロンドン交響楽団首席指揮者(のち音楽監督)に就いた。86年にはロリン・マゼールの後を継いでウィーン国立歌劇場の音楽監督になった。90年、カラヤンの後任として、ベルリン・フィル芸術監督に就任した。

 軽やかなイタリア音楽から重厚なドイツ音楽まで幅広いレパートリーを手中にしたが、色彩感に富むマーラーの交響曲でとりわけ名演を残した。ブーレーズをはじめ現代音楽の作曲家たちとも親交を結んだ。日本との縁も深く、73年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を率いて初来日。以来、何度もオペラや管弦楽を指揮した。

 2002年にベルリン・フィルを退任後、世界のトップ奏者を集めたルツェルン祝祭管弦楽団を率いた。04年には若手奏者によるモーツァルト管弦楽団を設立。後進育成にも力を注いだ。


1933 イタリア、ミラノに生まれる
1949-55 ミラノのヴェルディ音楽院で学ぶ
1956 ウィーン音楽院でハンス・スワロフスキーに師事
1958 タングルウッド音楽祭でクーセヴィツキー賞
1960 ミラノ・スカラ座で指揮者デビュー
1963 ミトロプーロス国際指揮者コンクールで優勝
ニューヨークでバーンスタインの助手を務める
1964 ザルツブルク音楽祭で成功
1968 ミラノ・スカラ座の常任指揮者
72-音楽監督、77-79芸術監督、81-86監督
1973 ウィーン・フィルと初来日
1978 欧州連合青少年オーケストラ(EUYO)を設立
1979 ロンドン交響楽団の首席指揮者、83-88音楽監督
1986-91 ウィーン国立歌劇場の音楽監督
1986 グスタフ・マーラー青少年管弦楽団を設立
1987 ウィーン市音楽総監督
1990-2002 ベルリン・フィルの芸術監督
1994 ザルツブルク復活際音楽祭の芸術監督
2000 ベルリン・フィルと南米、日本公演
2003 高松宮殿下記念世界文化賞・音楽部門受賞
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