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大切、今という時間

 笑点でおなじみ言葉に、おおきり(大切)があります。「切」の字を避けて、縁起をかついで「大喜利」ともいうそうです。切とは、寄席で、その日の最後の出し物です。観客サービスの一環として、現在でも寄席の最終演目として行われる事があるそうです。司会者がお題を与え、複数の回答者が謎掛けを行う大喜利とは、寄席の最後に、当日の出演者によって余興的に行れていたそうです。

 物事には、切の良いところがあり、そこで区切りをつけます。何事に区切りがあります。生きている時間が連綿として長く続いて絶えないものならば、愛惜する気持ちは生じません。「今日をつかまえよう」としても、刻々と、時間が去っていきます。それは、つかもうとすると、手からすり抜けていくような感じがします。

一番良いことは、今日一日の区切りで生きることです。カーネギーの道は開けるで、5つの問いがありました。

(1) 私は、未来に不安を感じたり、「水平線のかなたにある魔法のバラ園」に憧れたりして、ともすると現在の生活から逃避していないだろうか?
(2) 私は、過去の出来事──すでに決着のついたことがら──を後悔するあまり、現在をも傷つけていないだろうか?
(3) 朝起きる時に「今日をつかまえよう」──この24時間を最大限に活用しよう──と心に誓っているだろうか?
(4) 「今日一日の区切りで生きる」ことによって、人生をもっと豊かにできるだろうか?
(5) 以上のことをいつから始めるべきか? 来週から?……明日から?……それとも今日からか?

 人生、気がついたときに、大切なものが失われることがあります。無駄に過ごした時間があります。また、いまこのときにおいて、自分の身近にあって大切に思う対象が失われつつあるときに、さびしい気持ちにおそわれてしまいます。切に思う、切ないという気持ちは、非常に馴染み深い感情です。今、目の前にある光景は貴重なものです。現在、ただいまに、ありがたい、楽しい、うれしいと、思えるようなことで、心を満たすと、この世の中は決してさびしいものでもないような感じがします。この世の中は、本質的に楽しい、うれしい、美しい世界です。私たちは、他人と競って心に争う気持ちを持ちがちですが、お互いに思いやりと優しさをもって、親しみ穏やかに和を大切にしたいものです。

 

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