SSブログ

弱さの幸せがある


 「落胆することも人生の糧。大切なのは、悔やまず前に進むこと。痛みのない人生は価値のないのです。」
クレイス・ケリー

 今日は、桜が少し残り、晴れやかな新しい一日の始まりに花を添えました。電話先の一言がそれまでのめでたい気持ちを吹き飛ばしました。身内に病気の人がいて、思うようによくないときに、覚悟を迫られます。楽しい話ではありませんが、どこにでも、ある当たり前の話です、それが他人ごとでなく、自分事であったということです。

 曽野綾子さんが書かれていました。 
 「強いという状態は、仮初のものなんですね。たとえいま、ほんとうに強くとも、病気をしたり、年をとったり、愛する者を失ったりすれば、あっという間に弱くなります。永遠に自分のものであるものなどないのです。自らの弱さを誇ることもがくうちにやがて、心から「弱さの幸せがある」と実感するときがくるでしょう」

 なぜなら、人生には、かけがえない神、創造主の愛、優しさがつらぬかれています。私は弱さに気づき、人生の根本に流れる愛を知るときに、強く生きることができます。へとへとにつかれたときに、いろんなことに気がつきます。弱い人の気持ちを理解できます。弱さにも耐えることができます。この世の中に手に負えないことがあって、その前では、無力であり、無条件に降伏しないといけません。人生において、何時かは対面しないといけない、避けられない、自然の摂理です。それは、どうしても、避けることができないので、運命と呼べます。我々の力では、どうすることもできないことがあります。

 私たちは人間の生命力は強いもので、いろんな問題に圧倒されながら、ずっと持ちこたえてきます。個人の能力の限界まで究めていくと、いろんなことが可能になります。物事がうまくいくときには、強さを時間できます。しかし、いつかは、手に負えないことに出会い、弱さに気づきます。

 状況に歯が立たないことに、呆然として立ち尽くすことになります。やれるべきことをすべてやったとは、言いがたいですが、それ以上をやることもできないこともあります。私たちは、それでも、見捨てられた存在ではありません。むしろ、優しさで包まれた存在ですが、辛い現実を受け入れることが必要になります。人間は、強がりを言ったり、意地を張る必要もありません。人生において求めれることをやるのが一番です。

 弱さを知り尽くしています。それは、自分を過信することもなく、虚勢を張らずに、ありのままを受け入れて生きることも意味します。自分の弱さ、人間の弱さを真に自覚した時に、いろんな面で、助けられて、導かれていることはわかります。これまでのちょっとしたことに、感謝できます。それも、少しではありません。むしろ、数え切れません。
 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。