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人生を変える問いかけ

人生を変えた贈り物より  アンソニー・ロビンス

 マイナスの考え、感情、疑問、言葉と二人三脚をしていませんか?

 マイナスの考え、感情、疑問、言葉がない人生を想像できませんが、
気付いたら、それを素早く手放すようにしたいものです。
 そうでなければ、それらに、心が無条件降伏で占領されることになります。
人生を素敵に変える問いかけをやってみれば、効果が得られます。

 10日間のチャレンジは1日で挫折しそうです。

1.これから10日間、マイナスの考え、感情、疑問、言葉、メタファーに近づかない。

2.もしネガティブなものに焦点を合わせていたら、良い状態にもっていく自問をする。
 きっとそうなるのだ。もしくは、<問題解決のため>のクエスチョンをする。

3.朝、目が覚めたら、<朝のパワーアップクエスチョン>をする。

4.夜、眠る前に<夜のパワーアップクエスチョン>をする。

<朝パワーアップクエスチョン>
1.幸福な 2.ワクワクする 3.誇れる 4.感謝できる 5.楽しい 6.打ち込める
今の人生で「 XX こと」は何だろう?
どんな点が XX のだろう?
そのことでどんな気分になれるだろう?
7.私は誰を愛しているだろう?
誰が私を愛してくれているだろう?
どんな点が私を愛情豊かにしてくれるだろう?
そのことでどんな気分になれるだろう?

<夜のパワーアップクエスチョン>
1.今日は何を「与えた」だろう?
 どんな点で与える側にまわっただろう?
2.今日は何を「学んだ」だろう?
3.今日はどんな点で人生の価値を高めただろう?
将来の投資として、今日をどのように使えばいいだろう?

 朝夜のパワーアップクエスチョンでも、簡単そうで詰まらずに答えることが難しい質問です。
もし、つまりそうでしたら、問題が心に引っかかっているかもしれません。そのときには、問題
の解決策を考えてみましょう。

<問題解決のためのクエスチョン>
1.この問題の「すばらしい点」は何だろう?
2.まだ「完全でない点」は何だろう?
3.望むような解決のために進んでしようと思うことは何だろう?
4.望むような解決のために進んでやめようと思うことは何だろう?
5.望むような解決のために必要なことをして、しかもそのプロセスを楽しむには、どうすれば
いいだろう?







信頼できるものはハートだけ

  どんなことがあって、「自分にとって正しいこと、これだ!と思う通りに生きること」(マヤ・アンジェロウ)

 夢、期待、理想をもつと、人生楽しいときもありますが、いろんな副作用もあります。心を見つめてみましょう。そこに理想と現実のせめぎあいが見えてきます。心の中が一触即発の火薬庫の状態であり、花火のように感情が爆発します。どんな人間でも、聞き分け子供のように自分のしたい事がどうしてもしたくなることがあります。車のエンジンが燃焼しているように、迸(ほとばし)る感情は、生き生きと生きている証です。何もない、あなたがハートで感じないかぎりは。ハートに従いハートで生きることが大切です。私たちが信頼できるものはハートだけ!

 「思っていた現実と違う」というギャップに驚き、それをうめながら、社会人として、自分の居場所を確保することができます。夢、期待、理想が大きいと、失敗した時の痛手が多くなります。いつしか、時代が変わっていくと、現実と理想のギャップが大きくなり、「こんなはずではなかった」と後悔することがあります。理想を見失うと、自分がする事なす事にもはや意味を見いだせないことがあります。

 人生はつらいこともあります。多くの問題、困難、失敗がやってきます。知っている人に残念な出来事が見舞われたことがきっかけとなって、過去の嫌な出来事を思い出すことがあります。心の中で小さなことが雪だるまのように大きくなってしまうことがあります。

 「一番、頑張った人がそれにふさわしい結果を選らずに、第3者が不意に現れて、それを取っていく。」

 「一番、報われてほしい人が悔しい思いをしている現実があります。」

 痛恨の極みとは大袈裟な表現ですが、普通のちょっとしたつらい出来事であるのに、ちょっとしたことで過剰反応することがあります。素直に見つめると、自分の姿が見えてきます。日頃、いろんなことを我慢して、ストレスが蓄積しています。感情を一挙に掃き出してしまうときがあります。人間関係、信頼関係に綻びが入ると、心の葛藤に入ります。 仕事の現場における「現実」 「理想」と「現実」の折り合いをうまくつけて行くか、そのまま理想を持ち続けて、現実と理想の間でもがきつづけるかです。その答えは簡単です。

 心をひらくか、とじるか?心を閉ざせば、夢の灯りはやがてきえてしまい、フラストレーションと失望の連続で胸が痛みます。心を開けば、夢や目標はさらにわきおこり、達成し、よろこび、わくわく、どきどき、胸が満たされます。



神様が与えてくれた命

 神様が与えてくれた命を生きる。
 
 先日、2年位、病院に伏して半身が身動きとれない母から緊急呼び出しが看護師経由で、兄弟にあった。慌てていったが、何事もなく、元気そうでありがたかった。だだ元気してくれるだけも、いろんなことを教えてくれるし、兄弟、それぞれ学ばないといけないことが多い。病院がとても大切に世話してくれるとはいえ、心の『張り合い』、『期待すること』について考えさせられました。

 残念ながら、母には、病院を抜け出して、自由に世界を味わえる元気もない。堀辰雄の『菜穂子』で次様なふと浮かんだ。

  ある日、菜穂子は八ヶ岳山麓の結核療養所へ入院することになった。

  『十二月になってからは、曇った、底冷えのする日ばかり続いた。(菜穂子は)終日、開け放した寒い病室の真ん中の寝台にもぐり込んだ儘、毛布から目だけ出して、顔じゅうに痛いような外気を感じながら、暖炉が愉たのしそうに音を立てている何処かの小さな気持ちのいい料理店の匂だとか、其処を出てから町裏の程よく落葉の散らばった並木道をそぞろ歩きする一時ひとときの快さなどを心に浮べて、そんななんでもないけれども、いかにも張り合いのある生活がまだ自分にも残されているように考えられたり、又時とすると、自分の前途にはもう何んにも無いような気がしたりした。何一つ期待することもないように思われるのだった。

「一体、わたしはもう一生を終えてしまったのかしら?」と彼女はぎょっとして考えた。「誰かわたしにこれから何をしたらいいか、それともこの儘何もかも詮あきらめてしまうほかはないのか、教えて呉れる者はいないのかしら? ……」

雪が激しく降る日、菜穂子は衝動的に療養所を抜け出し、北風で片側だけが雪で真白な列車に乗り新宿駅に向った。東京も雪だった。菜穂子は自宅へ電話し、銀座で夫と待ち合わせた。・・・・ 自分の行動に一生を賭けるつもりで来た菜穂子だったが、圭介は菜穂子が何故来たのか深く追求しなかった。・・・・菜穂子は、明日一人で療養所へ帰ると言った
 
 「一つの想念が急に彼女の心に拡がり出していたからだった。それは自分がきょうのように何物かに魅せられたように夢中になって何か手あたりばったりの事をしつづけているうちに、一つ所にじっとしたきりでは到底考え及ばないような幾つかの人生の断面が自分の前に突然現われたり消えたりしながら、何か自分に新しい人生の道をそれとなく指し示していて呉れるように思われて来た事だった。」 

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