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正義:人を批判する方法

 「ある人が、データ改竄等の禁じ手を使い、問題のある行為をして、周囲に迷惑をかけて、知らないふりをしています。そのことについて、責任の所在を明らかにして、責任を取ってくださいと、いうことは可能なのだろうか?」 

 経済の大混乱、自然災害の発生で、会社の経営危機、組織の解体の危機などが明らかになり、多くの人がレイオフされてしまいます。その問題の原因となる責任者がいます。浮き沈み激しい時代において、能力のない経営者がトップになると、失敗を隠蔽して、あたかもうまくやっているように偽装をしています。

 大きな会社だけなく、私たちの小さな組織でも、そのような問題が多くあります。思慮深くなく、知恵が働かずに、好ましくないことをやってしまった、問題ある上司がいたとします。本人は、強引に自分がやりたいことをやっているだけですが、それなりに大義名分をつけて、巧妙に反対意見を排除しています。上意下達の絶対の関係がある場合には、上に対して、強くいう人はあまりません。直接、相手に面と向かって、問題点を指摘することを躊躇します。

 意外に、人を正しく批判することは、難しいようです。どのポイントについて、どのように相手を追及するのか?一切の憶測を排除して、フェアに事実だけのべて、問題に光をあてて、浮かび上がらせる。思慮深く、上品に、平易な言葉で、それぞれの立場を明瞭にすることで、問題を知ることができます。

 ビジョンがなく、他の人が困るようなことをして、後に残された人が苦労しているのに、問題を引き起こした人がそれを知らずうまく生きている場合があります。責任を取るどころか、成果を上げたとPRして、複雑な心境になります。

 道路にある人が障害物を置いて、後から来た人が障害物に転んでしまうことがあります。障害物を置いた人は立ち去って問われません。障害物に転ぶと、だれが犯人だと、怒りの感情に流されるがちです。それでは、分析による理路整然としたな批判よりも、感情論の展開に走ってしまいます。

 「倫理的に見て、嫌なタイプ人がいます。」

 嫌悪感が強くなると、その感情の毒に害されて、それを批判しようとしている自分自身が、周囲に好ましくない印象を与えてしまいます。その人に対して抗議したいと思っています。ただ、悪口を言って、わめき叫んでいるようになりたくないものです。うまく、人を批判できるようになるには、相手の言い分を正しく理解したうえで、客観性をもって、なにがあるべき姿かを主張する必要があります。

 そのことができるようになるには、自分の人間性を磨く必要があります。人をうまく批判したいというケチな精神を脱しないかぎり、いつまでの被害者のままです。人間性を磨く過程で、人を批判する精神を放棄せよということにたどりつきます。「責任の所在を明らかにして、責任を取ってください」ということは生産的でないので、現実を受け入れ、批判したい気持ちを手放すことになりそうです。



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