SSブログ

天国と低レベルの世界

  
 「少ないものを多くの人が分かち合うことで、社会は生成発展する」という考え方があります。社会の成果物、資源、チャンスを少人数の人が占有してしまうと、豊かさを多くの人で共有できなくなります。他人への優しさを欠いた社会は、低レベルの社会です。

 母親が子供を大切にするように、「自分は、得ていなくても、まず先に他に得させてあげる」ことは、なかなかできません。自由競争の世界なので、私は、誰よりも貢献したから、誰よりも多くを受ける権利があると考えます。スポーツのように、数字で成績が評価される世界では、納得できる指標が提示されます。いろんな理由をつけて正当化を行います。一度、得てしまったものは、既得の権利・利益として自分で守ろうとします。

 危機的な状況において、よく、人の振る舞いを観察すると、低レベルの素の姿が判ります。自分を知ることは難しいですが、自己中心から少し視点をずらしてみると、いろんな人が視野に入ってきますし、異なる風景が見えてきます。盲点で見えなかったことが見えると、いろんな勘違いがわかるようになります。自分の利益の最大化で、不利益を受ける人が増えます。ある角度から見て正しさを主張しても、他から見るとそうでもありません。悲しいことに、人の振りの欠点はすぐにわかるのに、自分自身のそれは判りません。こう書いている自分の姿の可笑しさを知りえません。

 おかれた状況が厳しくなると、組織を再編して規模を縮小することになります。組織と人の配置とを最適化するために、他の組織に人を移動してもらったり、人を減らすことが必要になります。それは、人間関係の複雑さが関係する難しい作業です。限られた選択の中で、みんなのやりたいことを希望を聞いて決めるとなると、いやことを避けて、自分の都合のいいことばかりを考える人が出てきます。人の持って生まれた人間性が見えてきます。いやことも含めて考えながら、それぞれの人の希望を考えるとなると、調整が難しくなります

 危機的な状況において、それまで隠れていた人間性が目につくようになります。例えば、この世の中において分かち合う精神がなくなると、限られたものに対して、より多くほしいという貪りの心が生まれてきます。自分の取り分が気になると、低いレベルの発想が幅を効かします。利害の調整役をすることになると、途方に暮れることになります。自分のことばかりしか考えられない人がいると、誰しも損はしたくないと、注意深く用心します。出来る限り、相手のことを考える心の余裕を持ちたいと思います。

  高いレベルで全体を俯瞰して、すばらしい解決法を見出すことができれば、すばらしいと思います。そこまで、知恵もなく、いろんな利害の板挟みにあって、妥協点を探すことになります。個人の我儘が入る余地がないことを宣言し、いろんな人に痛み分けを覚悟してもらうようにします。あれこれ悩むより、いろんな私情をなくして、クールに理路整然と考えると、それなりの結論はでてきます。それしかない妥協点に来たら、そのあとに、冷たくならないように情を添えることが望まれます。

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。