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ハリポッターの奇跡

『ハリー・ポッターと私に舞い降りた奇跡』

 『ハリー・ポッターと私に舞い降りた奇跡』には、翻訳家松岡佑子さんがハリー・ポッターに出会うまでの奇跡と彼女の素顔が明かされます。松岡佑子さんは、宮城県第一女子高等学校では、ハーマイオニーと同じで子供の頃から勉強一路の人生を歩いています。国際基督教大学(ICU)に進み、夫の幸雄さんに出会い、同時通訳者、翻訳家としての道を進んでいきます。国際労働機構(ILO)では1981年以来年次総会の通訳を続けています。1998年に夫が亡くなり、夫から小さな出版社静山社を引き継ぐことになります。
 
 1998年10月松岡さんは20年来の旧友ダンと奥さんアリソンに会いにロンドンを訪れます。小さな出版社を引き継いで、暗中模索中でした。ダンさんに「語学力を生かして、翻訳本を出したい思っているだけど」いうと、彼はおもむろに本棚から取り出して今イギリスで一番ホットな一冊の本を彼女に見せます。「版権が取れたら、佑子、出版社のビルが建つよ。・・・貸してあげるからよんでごらん。」

 この夜、本を読んで「ハリーポッター」の魔力にかかります。徹夜で読んだその朝、彼女は著者J・K・ローリングさんの代理人に連絡をして、日本で出版社が決まっているかを伺い、小さな会社でも版権取得と出版の可能性があるかを伺います。3社が話をもっていているが、まだ決定していないことを知り、小さな会社でもOKという返事に彼女が燃えに燃えます。

 ダンの奥さんアリソンから添削してもらい、版権取得と出版をしたい旨の手紙を代理人に送ります。「こんなに夢中になった本はない。感動を文字にして、多くの日本の読者にハリー・ポッターのすばらしさを伝えたい。小さい会社だからこそ、この物語に力を注ぐことができる」ダンがハーバード・ロースクール法律大学院時代に出会った奥さんアリソンは、ケンブリッジでも学び無駄のない英語を書くことに長けています。二か月後に、代理人から「著者と相談して、わたしたちはあなたがたに決めました」と日本での翻訳、出版の権利を受けることになりました。

 旧友のダンさんは、出合ったときは、23才のイェール大で「日本学」を専攻している大学生であり、格安大韓航空でイギリスから帰る途中の松岡さんに「こんにちわ、日本人ですか?」「えー日本人です」「ボールペン貸してくれますか?」何度もペンを貸してはなくす、ダンさんにやれやれと心の中で呟きながら、別れ際に連絡先を交換する。「佑子、泊めてくれる?」「泊めてやったらいい」という夫の許可を得て、泊めたのが長い付き合いの始まりです。ダンさんは、オックスフォード留学後にイェール大に戻り、ハーバード・ロースクールを卒業後、弁護士として活躍しています。彼は多才で、ハリー・ポッターシリーズのカバーの絵と各章の扉絵を描いています。

 素人集団の本作りといわれるように、小さな出版社がいきなり、ハリー・ポッターの本を出す過程で、いろんな人のサポートが生まれてきます。「奇跡」は、彼女が運命の糸を自力で手繰り寄せた感じがします。幸運は努力した人に対する神様からプレゼントで、彼女も10年間をハリポッターの7冊の本の翻訳、出版に費やすことになります。

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