SSブログ

スモールの良さ:ロードアイランド

The Ocean State NarragansettBay

NarragansettBay.jpg

                        ロードアイランド

 日本は、東京が政治、経済、放送、教育、工業、商業、教育の中心ですが、地方がもう少し個性をもってほしいものです。地方が、中央から独立できれば、文化は中心よりも辺境から生まれます。ロードアイランド州は、人口107.6万で、38番の富山県( 110万)に、面積4,000km2で38番目の滋賀県(4017km2)に相当します。ロードアイランド州の規模でも、特色ある地方にすることができます。アメリカの植民地に対して、英国が出した特許状のように、日本の中央政府も、地方の県に、特別なことを認める特区を作れれば、中央集権に穴があくと思います。

老子は、「小国寡民(しょうこくかみん)」を理想郷と考えました。国は小さいほうがよく、民は少ない(寡=少ないこと)ほうがよいという意味です。どうして理想郷なのかというと、文明の利器に毒されず自然の恵みを受けながら、肌と肌が触れ合って、人と人の心が繋がった小社会が築けるからだという

 アメリカで、全米で面積が一番小さく、名前が最も長い州は、ロードアイランド州です。正式な名前は、 State of Rhode Island and Providence Plantations で、「ロードアイランド及びプロビデンス・プランテーション州」となります。独立時の13州の1つで、州内の陸地の奥深くまでナラガンセット湾が入り込んでいることから、The Ocean State オーシャン州と呼ばれます。世界最大級のヨットレース、アメリカス・カップの開催地としても有名ですね。州都は、プロビデンスで「神の摂理」です。

 私が、ロードアイランド州のお世話になったURIは、州立大学で、州都プロビデンスからバスで南部方へ50分位のキングストンにあります。Narragansett Bayから見た海岸線は、非常に綺麗でした。現在換算で12兆円ものお金をもっていた大富豪バンダービルドの避暑地となったニューポートもあります。コーネリアス・ヴァンダービルト二世は、目もくらむような巨大な屋敷を所有していました。海岸線も多く、ユーゴスラビアから難民として来た親友は、こちらへ来て金を貯めて、大きなヨットをもっていたので、6人位乗れるようなスペースでした。普通の人でもヨットを持っていました。

petar.jpg

 URIよりもプロビデンスのある研究センターに滞在し、歩いて数分の距離にある近くのブラウン大学が身近に感じました。ブラウン大学は、1764年に創立された、ニューイングランドでハーバード大、エール大と並び3番目、アメリカで7番目に古い、アイビーリーグの大学です。ブラウン大学の近辺を散歩して、ジョン・ブラウン家邸宅があります。ブラウン家の人々でも、奴隷賛成波と反対波の人がいましたが、一家が奴隷貿易でも財をなし、大学が寄付を受けていたので、歴史も複雑です。大富豪が篤志家として、寄付して立てた大学は一杯ありますが、財を成す過程で、強欲な引きも存在します。現在でも富豪100億円程度の寄付をアメリカの大学に対して行っています。

ジョン・ロックフェラー       石油王      シカゴ大学 
コーネリアス・ヴァンダービルト 海運・鉄道王  ヴァンダービルト大学
ジェームス・B・デューク      タバコ事業    デューク大学
アンドリュー・カーネギー     鉄鋼王  アンドリュー・メロン   銀行家  カーネギー・メロン

 ジョン・ブラウンと同姓同名ですが、二人は全く血縁関係もない奴隷廃止の運動家がいます。黒人奴隷の解放を信じて、60歳に近い老人ジョンブラウンが有名なバージニア州のハーパーズ・フェリーを襲撃を試みます。暴動自体は失敗に終わり、処刑されました。ただ、ジョンブラウンについては、狂信家という人もおり、評価が分かれています。その後、南北戦争の始まると、北軍兵士の間では誰ともなく「ジョン・ブラウンの歌」が口ずさまれていきます。これが、「リパブリック讃歌」の本歌となっています。連邦統一と奴隷解放を戦う兵士達の精神面から支えていったのです。

ジョン・ブラウンの歌」
http://www.youtube.com/watch?v=enz7XsKfRlw

 州都プロビデンスに立地する同州議会の議事堂の庁舎およびドームの建材には白の大理石が用いられて、ドームの頂上には「インディペンデント・マン」(Independent Man)と呼ばれる、金箔の貼られた銅像が立てられている。この像は自由と独立を象徴し、ロジャー・ウィリアムズがプロビデンス市、およびロードアイランド植民地を創設するに至った独立精神を示唆しています。

providence2.JPG
 
ロジャーウィリアムズとは、

 ロジャーウィリアムズ Roger Williams(1603頃-1683)は、ロードアイランド(Rhode Island)植民地の創設者です。ロンドンに生まれ、ケンブリッジ大学で学んだ後、英国国教会の牧師となったが、その後極端な清教徒に転向し、1630年に宗教的自由を求めてアメリカのニューイングランド植民地へと移住した。その頃、英国王チャールズ1世から植民地建設の特許を得た清教徒がニューイングランド植民地を支配していました。この特許状の規定の下では、権力は「自由民」から成る総会に帰属して、清教徒が宗教的にも政治的にも優勢となることが保証されていた。

それに対して初めて公然と反対を表明した1人が、ロジャー・ウィリアムズという若い牧師であった。彼は植民地がインディアンの土地を没収したことに反対し、政教分離を主張した。ウィリアムズは1636年に、ナラガンセット湾の北部沿岸の土地をナラガンセット族・インディアンから「購入」して、集落を作った。ウィリアムズは、ここをバプテスト開拓者のための宗教的自由の地と宣言し、プロビデンス(神の摂理)と名付けた。その後、プロビデンスのロジャー・ウィリアムズらは、バプテストだけに限らず、広く信教の自由を認めるようになり、クエーカー教徒、ユダヤ人、カトリック教徒などを受け入れ、完全な信教の自由を保障する唯一の植民地として発展した。1644年には、清教徒の支配する英国議会が彼を支持し、ロードアイランドに、完全な政教分離と宗教の自由を実現する植民地を創設する特許を与えた。


、「小国寡民(しょうこくかみん)」
理想の国とは、小国で人口が少ない国である。
文明の利器があっても、使わせないようにし、
人民にいのちを大事にさせ、
しかも遠くに移動しないようにさせる。
そうすれば、船や車があっても、それに乗る機会が無く、
鎧や武器があっても、見せびらかす機会がない。
昔のように、人々は縄を結んで文字の代わりとし、
質素な食事をうまいと食うようになり、
質素な服をりっぱだと思うようになり、
質素な住居に落ち着くようになり、
質素な習慣を楽しむようになる。
隣国は互いに見え、鶏や犬の鳴声が
聞こえるほどの近さにあっても、
人民は、老いて死ぬまで行き来することはなくなる。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。